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モヤモヤが吹き飛んだ

cakes.mu

現実の世界の日本女性達も、両作品のキャラクターたちと同じです。

自分が他人にどう映るか、人はどう思うか、そればかり気にしているので、服装や持ち物に大変な気を使っている。靴も化粧ポーチもピカピカで、床にカバンを置く人はいません。ボサボサの頭で買い物に行く人も電車に乗る人もいません。

PTAや公園デビューの人間関係に気を使い、誰さんに何を言われたと些細なことを気に病んでいる。そうしていないと仲間はずれになったり、悪口をいわれるという制裁を受けるからなのでしょう。街はハイテクであっても、人々の頭の中は江戸時代のような封建主義で、相互監視の目に溢れているのです。

しかし女性達自身の不幸なところは、そういう封建主義的な「あるべき姿」を押し付けられることが、自然で当たり前なことだと思いこんでいることです。

両作品に共感する人が多いということは、そういう押しつけの中で苦悩するのが当たり前だと考えている人が多いからです。これはおかしい、こんなことは気にしなくていいのだ、私は自分の好きな様に生きるんですとは考えない。

まるで自分自身を牢獄に押し込めるように、自分自身に「あるべき姿」を押し付けて、何か違うロールモデルを求めようとはしないのです。

「タラレバ娘」も「逃げ恥」に登場する女性達は、男性を記号としてみています。「イケメン」「低収入」「高収入」「失業者」。

その人の性格や面白さ、自分のパートナーになるか、そういうことよりも、まずは記号としての存在を重要視してしまう。それは、自分達も「若い」「独身」「おばさん」という記号でみられることを肯定することであり、自らを自虐的な意味でも記号化してしまう。「あるべき姿」にとらわれているから、自分を記号化し、他人も記号化する。記号化することで、人生を自由に楽しむ機会を自ら奪っているのです。

 

 

ほんとにそうだ。マインドを変えれば、いくらでも自由になれるはず。

自分で自分を記号化することをやめて、自分を記号化してくる他人もどんどん避けて、エキセントリックなものにたくさん触れて、頭の中を自由にしていきたい。